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Fragments 2016
去年の秋、人生で二回目の正社員になった。

時間が拘束されるだけではなく、毎日の真ん中に仕事が鎮座するということは、思考の真ん中にも仕事というものが占めることになり、それが嫌でたまらなかった。

ただ、時間があってもなくっても、自分をがむしゃらに追い込めるストイックさも、ひとりで物事を切り拓いていける才能がないことにも気づいていたので、ごちゃごちゃ言わずにやってみたほうが何か見えるかもしれないという結論になり(親友のアドバイスに背中を押されたのも大きいけれど)、今に至っている。

ここ数ヶ月は仕事が忙しく、根っからのニート根性が頭をもたげたりなんかしだして、すっかり疲弊している。
そうこうしているうちに、参加するグループ展が始まりそうだ。

しんどいしんどいとぼやいていても、決めたからには怒っても笑っても結局はやるわけで、それならば笑ってできたらいいのにとは思うけれど、何かにケチをつけて怒っている方がパワーが出るような気もするので、人間ってよくわからない。

そんな、自分の中にあるよくわからないものを表現したいと思いながら作りました。


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「Fragments 2016」

【会期】3/7(月)〜3/12(土) 
【場所】GALLERY ART POINT 
【時間】12:00〜19:00(最終日は17:00まで) 


 よろしくお願いします。
| 活動 | 22:43 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
夏/大阪/写真

ヴォルフガング・ティルマンスの展覧会を見に、国立国際美術館に行って来た。



たしか、大学の卒業旅行でヨーロッパをいくつかまわっていたときに、ロンドンのギャラリーで彼の写真集を買ったかと思う。

体の関節がおかしい女性の表紙にびっくりし、ページをめくるたびに切り取られた風景にびっくりした。


おしりの穴や男性の局部、ごみが散らかった部屋、アナーキーな人々、どこかの国の日常。

猥雑で混沌としていて、でもどこか寂しげな表情。

気がつくと、すっかり虜になってしまっていた。


そんな彼の大規模な展覧会が大阪だけで開催されるらしい。

ありがとう、大阪。


初日の今日、アーティストトークがあるとかで10時から整理券が配布されると言う。

まあ、相変わらずそういったことに縁のないわたしは、10時半に到着したらもう、定員オーバーで締め切られていたのだけれど。


ティルマンス自身がデザインした展示空間には、彼が通って来た様々な時間が配置され、はじめて見た時の衝撃とはまた違った世界が広がっていた。

それでもやっぱり、その世界に暮らす人々の息づかいが写真から聞こえて来るようで、わたしはただ黙って向き合い、あれこれと思いを馳せるのだった。


2台のプロジェクションによる「Book for Architects」という、延々と建物の写真が映し出されるインスタレーションで、6人ほど腰掛けることができるベンチがあったものの座るタイミングを逃し、作品はとても面白かったのだけど足がしびれて来たなあなどと考えていたら、出入り口の方からカメラのシャッター音が。

なんちゅう不届きものや!と音のする方に目をやると、あれ、本人ちゃうの。え、うそん。

となり、いそいそと後をついていけばやっぱりティルマンスご本人で、アーティストトークには参加できなかったけれど、ちょっと得した気分になった。単純。


その後、阿波座のカフェで開催されている森栄喜と工藤司による同性婚をテーマにした展覧会へ。




森さんの写真も初めて見たときに、光と影や孤独、そして映し出された誰かの日常といったものに引き込まれ、いつか作品を実際に見たいと思っていたので、展覧会の開催を知ったときは、ひとり小躍りしたものだ。


美術館を出たとき、どこからかお囃子が聞こえて来た。

天神祭やもんなーと思いながら歩いていたら、中年の男性が二人、腕を組んで歩いていた。たぶんカップルなのだと思う。

今日はむちゃくちゃに暑くて汗だくになったけれど、とてもいい日でした。


我が家にある彼らの写真集。

図録はばっちり予約したで!

| 日々の風景 | 19:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
NARAAAAAAAAAAA!

ここのところ、京都の展覧会へ行くときには、大学の同級生で、京女のYちゃんにお付き合いいただいている。

それは、おいしいランチを食べ、芸術にふれ、観光をし、いい感じの喫茶店でお茶をし、おいしい夜ごはんを食べてお酒を飲む、という構成になっているのだけれど、なかなか見事な独身アラサーぶりだということに、今気がついてびっくりした。


今回の目的地は、奈良。

最後に訪れたのがいつだったのかも全く思い出せないが、頭に浮かぶのは、物心ついてから見た東大寺の大仏のでかさは感動してちょっと泣く、というのと、奈良の湿気がえげつなすぎて吐いた記憶といったところか。


数ヶ月前、たまたま図書館で手に取った田中一光の本に感動して震え、急いでその本を購入した。

それまで別段気にかけたこともなかったのに、偶然の出会い以来神様のように思えていた矢先、奈良県立美術館で展覧会が開催されるということを知り、奈良ツアーが組まれたというわけです。


奈良の食事情がいかほどのものなのかまったくわからないけれど、調べてみると蕎麦屋が多い模様なので、(わたしは俄然うどん派なのだが)こだわりの強そうな一軒でお昼ごはん。

おいしかったけれど、やっぱりあのお蕎麦がはらんだ独特の繊細さのようなものがよくわからなかった。

(最後にお湯出されるのも理解できないルール)


それにしても、奈良の暑さは尋常じゃないし、道案内の看板の類いが少なすぎてかなり戸惑う。

そういうとこで京都に水あけられてるんちゃうの、などとぶつくさ言いつつ(大阪人の分際で)、汗だくになりながら目的の美術館へ。


田中一光の作品を日本の伝統美術から照らし出した内容だったのだが、何がどうって、もう、めちゃくちゃおしゃれでかっこよかった。

とことん無駄を削ぎ落し、計算し尽くされたようなシンプルな構成でありながら、有機的でもあり、どこまでもモダン。

日本人ならどこかで目にしている伝統美術をベースにしているからか、画面からあたたかさや、感覚的に染み付いている親しみやすさのようなもが感じられるのかなと思った。




残念だったのは、作品の前で水筒に入った氷をカラカラならしながら、飲み物を飲むおっさんがいたことか。

ださい。かっこわるい。みっともない。


美術館をあとにし、一時期ブームになっていた阿修羅像を見るため、すぐ近くにある興福寺へ。

恥ずかしいことにわたしは興福寺のお宝に関して何も知らなかったのだけれど、展示されている何もかもが、腰を抜かすほどの素晴らしさだった。


特に、まるで漫☆画太郎の漫画に出て来そうな表情の板彫十二神将立像や、リアルすぎて恐ろしくなる木造法相六祖坐像、そして阿修羅像を含む乾漆八部衆立像が、あまりに魅力的で参ってしまった。

なかでも鳥人のような迦楼羅像と、動物のかぶりものをして悦に入りながらエアギターでもしている少年にも見える乾闥婆像がお気に入りなのだけれど、このユーモラスで個性的な像が1300年も前に作られていたことに、ますます白目をむく思いがした。


鹿などもおあいそ程度に眺めたりしながら、お茶でもしようと奈良ホテルへ向かう。



こちらもまあなんというか、さすが皇室の方々やアインシュタイン先生も来られただけあって、もはや博物館のよう。

ほとばしる荘厳な歴史感に呆然としながら、ヘビ柄のズボンを履いて行ったことを死ぬほど後悔しつつ、カフェでシャンパンを飲みました。





夜ごはんを食べに行ったお店も、突き出しからしてハッピーなおいしさで、すぐお腹がいっぱいになってしまった自分を殴りつけたい気分になった。


とにかく、奈良!

今まで素通りしててごめん!京都行くほど時間かからんし、また行くわなー!

と、テンションも高らかにYちゃんと駅で分かれたところ、22時台にもかかわらず、大阪行きの電車がなかなか来ない上に普通しかなくて、一人でぶつぶつ文句を言いながら帰った。


次回は謎の公園がある宇陀市に行きたいです。

あと、写真がうまくなりたい。
| ここではないどこか | 00:10 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
トび女展終了

家の物置を組み立てようと張り切っていたら、説明書の2番目の行程でばっさり指を切って血まみれになり、ほとほと情けなくなった。


このようにどんくさいわたしですが、先日、参加していたトび女展が無事に終了しました。

見に来てくださった方、興味をもってくださった方、おみやげもいただいたりして、本当にありがとうございました。


そして、家族をはじめ親友や友だちがどんなときでもあたたかく見守ってくれ、わたしはいつまでもどんくさいけれど、幸せもんやなあと思っています。ありがとう。


↑わたしの






今回は、何年も前からこそこそとストレス発散のように作っていたコラージュを拡大し、そこにペイントや刺繍などで手を加えるという、これまでとは違った方法を試してみた。

細かなストーリーがあるわけでもないし、荒削りな部分だらけで、お褒めの言葉もいただけたのは光栄だけれども、反省点の多いものになった感は否めない。


毎月1キロずつ太っていた小学1年生の頃、美空ひばりファンの担任の先生から「あなたは引き算ができない」と言われた。

それからずっと、計算にまつわることがら(純粋に算数、数学、物理なども含め)が本当に苦手だ。

理論立ててものごとを考え、うまくあてはめていかなければならない場に直面すると、頭の中がカーッとなってぐらぐらする。


余白を感覚でうめていくことの何がいけないのか、という気分でいろんなことに向き合ってきた上、大阪人特有の派手好きなこともあり、余白どころか過剰すぎるという結果に陥ってしまっている。

たとえば、片付けられない自分の部屋。柄物だらけの服。そして要素がてんこもりの我が作品。


何を見せたいのか、何を伝えたいのか。

曖昧にぼやかして満足することはもうこの辺にして、きちんと考え、整理して組み立てていくことを心がけていきたい。


継続は力なりと、サスケくんも言っていたことやし。

(サスケくん、完全制覇おめでとう!)



| 活動 | 22:15 | comments(2) | - | pookmark |
トび女

このGWに青山のspiralで行われたSICF16に参加した。

東京での公募展に出展したのは初めてだったので、いろんな作品に囲まれながら、ふわふわしていた。

そして、自分は何をどうしたいのだろうかと、途方に暮れながら大阪に帰ってきた。


職場の社長にも作品の写真を見てもらった。

社長の物事を見る目は本当に素晴らしくて尊敬しているのだけれど、わたしのもやもやなんて一発で見抜かれてしまった。

伝えたいことが本人の中で明確でない人間が、他人に何かを伝えることはできない。


どうでもいいおしゃべりでお茶を濁すことは簡単だけれど、そこに伝えたい本質が見えてこなければ、それはもうひとりよがりでしかない。

どうでもいいおしゃべりでも必ずオチを考えて話すようにしているのに、作品にはオチをつけられていなかったと思う。


昔、NGKでとある大御所の落語を聞いたとき、お客さんも頭を使ってやと言っていた。

それは、誰もが何も考えずに笑えるネタでは面白くないでしょうと言っているように感じた。

まるごとお客に委ねるのではなく、こちらは責任をもって少しだけネタから要素を引いておくので、あなたもしっかり受け止めて、その足りない部分を考えなさい。正しくはまったらすごく面白いでしょう、というか。

見せる側と見る側は対等である、というか。

(全然違っていたらごめんなさい)


わたしはずっと、自分の作品は見る人によって感じ方は違っていいと思っていたけれど、それは責任転嫁でしかないということに気がついた。

自分の中にある伝えたいことをしっかりと構築ができていなければ、見る人は何も考えずに笑うことさえもできない。


そういうことを考えながら、これからどうしようかと思っていた矢先、企画グループ展のお誘いをいただいたので、参加することになりました。

変わった作品を作っている女性5名による展覧会とのことだけれど、頭の中をほどく作業をするためにこれまでとは違う作品にしたので、わたしのが一番オーソドックスな気がします。


木を見て森を見ずと言うか、制作を進めて行くと泥酔しているときのように瞳孔がぐーっと狭まる間隔に陥るので、もっと冷静になりたい。


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「トび女-tobijo-展」

http://senseisha-cms.com/158OCI/new/2015/06/898/


【会期】6/24(水)〜7/4(土)

【場所】Links gallery

【時間】13:00〜20:00



よろしくお願いします。


| 活動 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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